アニメ Vivy

 最近はアニメもなかなか見なくなってますが、Vivyはちまちま時間を開けつつ、先程全話見終わりました。

 最終話辺りで抱いていた感想としては、普通のアニメというより、名作扱いされたノベルゲーをアニメ化したみたいな作品だなあ、というものでした。
 んで終わってからWikipediaとか見て、2人いた脚本家の一人がリゼロの原作者だったと初めて知りました。といっても、私はリゼロをちゃんと見てないので、これについてそれ以上語れることはないんですが。

 Vivyは、すごい面白い作品だったかというと、そうではない。
 名作だったかというと、そうは思わない。

 ただ、オーラみたいなもんは確実に出ていた作品でした。
 作画のクオリティも高かったと思いますが、多分それだけが原因ではない部分の、オーラが。

 そういう「オーラみたいなもん」などという曖昧なものは、見ているこっちの脳で勝手に生成しているだけなのか、それとも実際に作品がそれを生み出しているのかはわかりません。
 けど、そういうものはある、と思います。

 これは悪い例なんで、具体的な作品名とかは書きませんけど、昔とあるアニメを見てて、「アニメから加齢臭ってするんだな・・・」と感じたことがありました。
 ・・・ひょっとしたら、過去の記事で書いちゃってたかな。まあいいや。

 別にアニメに限らず、人間はありとあらゆるものから、自分が意識している以上の情報を受け取り、いろんなことを意識と無意識とで感じ取っているものだと思います。
 だから、アニメやゲーム、漫画にラノベと、まあ媒体はなんでもいいんですが、「よくわからんがなんかおもろい」「なんか知らんが不愉快で見てられない」みたいな、曖昧極まる感想も出てくるんだろうと。
 世の中、そういう曖昧な感想を是としない意見もありますが、もとより言葉でなんでも説明できるわけじゃなし、しなきゃいけないわけでもなし。それこそ過去にどっかで聞いたセリフですけど、全部きれいに説明しようとすると、大事なものがいろいろとこぼれちゃったりもするものでしょう。

てことで、そういう普通のやり方での感想はここまでとして、以下、大嶋信頼先生流の「スクリプト」で、Vivyという作品について書きます。

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思い浮かぶのは、カンフーアクションのような動き。
オープニングの歌声は、毎回飛ばすことができず。
そう、あのオープニングから、私は毎回、なにかを感じていたんです。

次に思い浮かぶのは、たまにガラスのような見た目に変わるヴィヴィの瞳。
脳裏には変わらず、オープニングの歌が流れています。
そして私は、悲しみを胸に感じているんです。

そう、きっと、この物語は悲しい物語だった。
それは、どうしようもなく変わってしまう現実を描いていたからなのか、あるいは変わりようがないどうしようもない現実を描いていたからなのか。

最初は若く、徐々に老い、最後はまた若き姿となって命を落としたあの青年の姿が目に浮かびます。
彼の残した言葉が、残響として残ります。
もっと違うやり方があったのでは、と感じるんです。

そして、オープニングにも出てくる、時代のターニングポイントにいたAIの女性たち。
けれど、もしかしたら、それらはターニングポイントでもなんでもなかったのかもしれない。
そう、それはみんなただのありふれた日常で、歴史の中においてはなんの意味も持たず、またありとあらゆる事象と同様に、ありとあらゆる意味を持っていたのかもしれない。

そこには、命はなかったのかもしれません。
そこには、思想もなかったのかもしれません。
ひょっとしたら、歌すらもなかったのかもしれません。

ならば、あるいは、そこには全く別のものがあったのかもしれない。
それがなにかはわからないけれど、この物語を見終えた私は、そのことに多分、満足しているんです。