読んでいない本について堂々と語る方法 感想
僕のブログでは、読んだ本の感想を、過去何度か書いています。
その際、タイトルには「感想」と名づけ、「書評」とはつけていません。自分の書く文はあくまでも感想であって、書評ではないと思っているからです。
今回、この本を読んで、なぜ自分が「書評」ではなく「感想」を書いていると感じているのか、その理由がわかった気がします。
最初から、「書評」などというものは書けっこないからです。
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本には、それ自体が持つ絶対の価値などは存在しない。
読者は本を読み、そこから受けた刺激によって生まれた、自分自身の考えを思い描く。すでに自分が持っていた人生観や、あるいは潜在的に秘めていた思いを、読書によって得た刺激によって明確にする。それが、本を読むということであり、他ではないのです。
……てなことが、この本が言わんとしていることなのでしょう。多分。
さて、これは本当に「この本が言わんとしていること」なのか。僕がそう思い込んでいるだけで、実際には僕自身の考えを主張しているだけなんじゃないのか。
どのみち、著者が本当に言いたかったことは、多分著者自身にしかわからない。本人さえわかってないかもしれない。
だから他人である読者は、自分が読んだ本の内容をちゃんと理解してるか、なんて気にしなくていい。勝手に読んで、抱いた感想を勝手に述べればいい。それが読書というものの本質なのだ。
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僕は速読法として、フォトリーディングを使っています。
といってもセミナーとかには通っておらず、本を読んだだけの独習です。ちゃんと使えているのかどうかはわかりません。
ただ、最近になって、自分の中できちんとフォトリーディングが行えている、という感覚を得られるようになりました。
そして本書を読んだことで、フォトリーディングの意味についての理解が深まった気もしました。
本を読むというのは、結局のところ、自分を見つめる行為に他なりません。
だからフォトリーディングにおいては、その本を読むことでどんな情報を得たいのか、という目的意識をハッキリと持つよう読者に要求してきます。言い換えれば、お前は自分の中のどんな側面について見つめたいのだ、それを自覚しておけ、と言っているわけです。
丁寧に、最初から、一字一句読み進めていくと、本に書かれている言葉に圧倒されるはめになりかねない。酔いかねない。そこには快楽があるかもしれないが、結果生まれるのは自分自身の酔いの体験だけであり、本の内容の理解などとは縁遠い代物だ。
だったら、酔わない程度にたしなめばいい。そうすればかえって冷静に、本から知恵の果実をもぎ取ることができる。
本を読むときは、読む目的を意識するのが大事である。
それは、勉強の効率を高めるためではない。本というものに溺れずに済む、健康的な距離を保つためだ、ということなのではないかと思いました。
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で、実のところこれだと、本そのものを読む必要はなく、それに関する書評をいくつか読んでいけばそれで充分、ということになったりします。実際、この本にもそういうことが書かれていたような、いなかったような。
それで満足できる本であれば、それで済ませちゃっていいんでしょう。他人の書評だけではまだ足りないと思ったら、自分で実際に触れてみればいい。本との距離ってのは、そういういい加減なものでいいんじゃないかと思います。