うみねこEP2真相解明読本を読んで

うみねこのなく頃にEpisode2真相解明読本
http://www.amazon.co.jp/dp/4575164755/

 書き下ろしTipsについて、自分なりにまとめる。

・世界には奇跡が満ちあふれている

・魔女とは、世界に満ちあふれている偉大なるものたちに、奇跡を願う存在。偉大なるものへの敬意と、奇跡への感謝を忘れてはならない

・近代の人間は奇跡を否定し、全てを現象として説明しようとしている。真の意味での魔女狩りの時代である。これにより魔法の力は弱まり、人前で魔法=奇跡を披露することはできなくなった

・奇跡を披露できない現状において可能な魔女の証明とは、あらゆる現象を全否定することに他ならない。まさに悪魔の証明であり、永遠に続けられるそれこそが人間への拷問となる

☆★☆★☆

 以下、思ったこと。

・「愛がなければ視えない」。愛とは他者への敬意、感謝。すなわち、魔女・魔術師に欠かせぬ心根。
 金蔵に魔術師としての才がないというのは、彼がエゴの塊であるからか? 金蔵はベアトリーチェに会いたいという自分自身の欲望にばかり執着しており、他人のことは終始見下している。愛を持たない金蔵には、魔術師としての才がなく、ベアトを視ることなどかなわぬということか。

・うみねこという作品は、ミステリーか、ファンタジーか。どちらかであると判断を下すことはすなわち、うみねこ世界に現象が存在するか、全くしないかの判断を下すことに等しい?
 ……しかし、だとしたら、僕はファンタジー派になるかもしれない。この前、うみねことは全く関係ない記事でも書いたように、世の中はうさんくさいもの=奇跡に満ちているというのが僕のスタンスなのだから。

・だが、魔女が実在するかというのは、また別の話ではないか?
 魔女とは奇跡を願い、自分が望む奇跡を引き出す存在である。しかし、この世に奇跡が実在しているからといって、人間がその奇跡に干渉できるかどうかは別の話である。奇跡は実在しても――世界はファンタジーであっても、魔女と呼ぶべき存在が実在する証拠には全くならないのではないか。

・「愛がなければ視えない」。他者への敬意、感謝を持たない者や、奇跡の存在を信じない者には、魔女の姿は見えない?
 他人から見られない者は、存在していないのも同じ。ベアトが存在し続けるためには、魔女の証明をし続けねばならない。ならば、うみねこ世界で繰り広げられていることは単なるゲームなのか? ベアトが生きるための戦いではないのか?

・ベアトが、奇跡の存在を信じているであろう金蔵や他の連中よりも、全力で奇跡を否定しようとしている戦人に最大の関心を寄せているように見えるのはなぜだ? 奇跡の存在を証明できない以上、奇跡を信じている連中は魔女にとって真の意味での助けにはならないということか? 戦人に対し、彼が信じようとしているあらゆる現象を否定し続けることによって、ベアトは存在し続けることができている?

・結局、このゲームの勝利条件はなんだ? わからん。

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