僕はネギまのなにが好きなんだろう ~前編?~

 この前書いた「ネギまのゲームはシューティングで出すべし」という記事に対し、トラックバックが張られました。
 うちのブログ開設以来、記事の内容に対するダイレクトな意見としてのトラックバックは、今回が初めてのような気がします。嬉しいですね、こういうのは。

 で、他のネギま関連記事も面白かったのでいろいろ読んでいると、僕との視点の違いに気づきました。
 簡単に言えば、ネギまに対する期待度の違いです。

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 僕はネギまという作品に、シリアスなドラマとしての面白さは期待していません。期待できないからというのではなく、そもそも要求していません。
 以前、ネギまは少年の成長物語になっているから好きだなどと書きましたが、ごめんなさい、あれは多分嘘です。いや、書いたときは確かにそう思っていたんでしょうが、今読み返すとあまり共感できない意見です。

 シリアスなドラマとして見た場合、ネギまはいろいろと穴が開いています。個人的には、学祭時の超鈴音という人物に対して、いろいろと思うところはあります。
 ただ、そういうシリアス話としての穴が、ネギまという作品にとっての欠点になっているかというと、そうは思いません。

 つまるところ、個々の読者の間で、「理想のネギま」像が違う。その違いが、そのまま「現実のネギま」に対する評価の違いに現れるわけです。
 僕の中の「理想のネギま」像の中に、大マジなシリアスドラマの成分はあまり含まれていません。なので「現実のネギま」がシリアスドラマとして穴だらけであっても、それを理由に評価が下がったりはしないわけです。最初からそんなのは求めてないので。

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 じゃあなんでシリアスドラマを求めてないかというと、理由はおそらく、赤松先生の過去の発言にあると思います。
 引用元がちょっと思い出せないので適当に書きますが、自分は手っ取り早く得られる快感が好きだ、というような趣旨のことを、赤松先生はどこか(日記帳?)で言っていたのです。

 具体的な話の流れは確か、雪広あやかは最初はネギをいじめるお嬢様タイプのキャラだった、でも自分(赤松)は「最初いじめられていたのが後に関係改善」という得るのに時間のかかる快感よりも、「ともかく最初からみんなネギが好き」という手っ取り早い快感のほうが好きなので、あやかのキャラも現状のように変わった、みたいな内容だったと思います。うろ覚えですが。

 すでにラブひなを読んでいたこともあって、赤松先生のこの発言は、すんなり腑に落ちました。それがそのまま、ネギまという作品に対する僕の理想像形成に影響しているのだと思います。
 要するに、ネギという少年を精神的に追い詰めまくって、その果ての成長というドラマを描く、みたいなことはそもそもやらないんだなと。そうじゃなくて、とりあえずネギがモテモテな話を書くんだなと。そう納得したわけです。

 赤松先生の別の発言としては、クラスメートを殺すようなことは作品の空気的にやらない、というのもありました。
 これも素直に納得できました。ネギまという作品は、そういう方向には行かないんだな、と。

 シリアスだのリアルだのを考えた場合、あんな危険すぎる魔法世界に散り散りになって、全員無事だなんてことはあり得ないわけです。死亡やら性的虐待やら、まあいろいろあっておかしくないでしょう。
 でも、ネギまにおいてそんな展開は起こらない。なぜならネギまだから! ……ということで、僕は不満もなんもなく受け入れられているのです。

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 となると、じゃあ僕はネギまという作品のなにが好きでハマっているのかという疑問がわくわけですが、ここまで書いてきてちょっと疲れたので、続きはまた今度ということで。多分書きます。きっと。

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