バッテリー読了 「葛藤」考、続き

 バッテリー、読了。

 昨日、シリアス話における「葛藤」の有効性について、いろいろ書きました。
 が、実のところ、葛藤というやつは、キャラクターのうざさにつながりかねない諸刃の剣だったりします。あんまりうじうじしている主人公は、「こいつうざい」と思われるわけです。

 葛藤=うざさとなった、近年でもっともわかりやすい例は、ガンダムSEEDシリーズでしょう。

 キラは、「ナチュラルの友人を守るために、コーディネイターの友人と殺しあわねばならない」という、いい感じの葛藤を抱いていました。
 でもそれが行き過ぎちゃって、友人の彼女(と言い切るには曖昧ですが)を寝取るし、「やめてよね」とか言っちゃうし。ここまでやると、興味や同情以前にうざさが先行してしまいます。

 シンにいたっては、最後の最後まで葛藤にケリをつけられなかった上に、そもそも物語のスポットライトがあんまり当たっていなかったせいで、散々な評価になっちゃいました。

 結局のところ、葛藤ってのはあればそれで済むというわけではなく、使い方に注意しないといけない要素だと思います。
 読者や視聴者受けを狙うのであれば、「うざくない程度に悩んだり苦しんだりする、基本的にはいいやつ」なキャラにするのがいいのでしょう。共感の持てる、等身大の主人公ってやつですね。

 でも。
 うざくて悪いのか? という疑問もあります。

 バッテリーの主人公は、結構うざかったです。葛藤が行き過ぎちゃって、視野が狭くなっている。それが見ていて腹立たしい。
 でも、作者がそういう人物を書きたかったというのは、あとがきにはっきり書かれています。それが少年なのだ、と。

 あとがきで作者は、作家として上達した自分のことを、「弛緩」したと表現しています。
 読者に受けるよう工夫を重ねて小説を書く、そんな自分を、たるんでいると感じたようです。

 上でふれた、「基本的にはいいやつ」な主人公は、読者受けを狙ったものです。
 でも現実に生きる人間は、そんなに都合のいい存在か? 他人から見て明らかに嫌なやつで、自分自身もそんな嫌な自分に腹を立てていて、でも変わることができない。そんなやつを主人公にした物語は、書いちゃダメなのか?

 まあ、読者に受けるように書くのは、別に悪いことではないと思います。
 それを「読者にこびている」「人間の真実から目をそらして書いている」などと、作家の側が自己嫌悪に陥るのも、またあることでしょう。

 ただ、主人公が結構うざい、この『バッテリー』という小説は、それでも充分に面白く、続きも読みたいと思いました。
 で、多分同じようにこの作品を支持している人が多いからこそ、1000万部も売れているのだし、映画化までされているわけです。

 だとしたら、まあ、主人公がうざいってのも、必ずしも悪いことじゃないんじゃないですかね。SEEDもあれだけ叩かれているのに、DVDはしっかり売れてるわけですし。
 エヴァンゲリオンも、シンジが最後にあれだけ無様な姿を見せ、ファンに怒りと絶望の叫びを上げさせながらも、その後10年間、商品展開はしっかり続き、改めて登場した劇場版もしっかり受けている。世の中、そういうもんなんじゃないでしょうか。

 え、スクールデイズの誠? あいつは全然葛藤なんてしてないから違います。
 てかアレのメインキャラは、どいつもこいつも葛藤なんかなしで、一直線に突っ走っちゃってるような。人ってそんな簡単に殺しちゃダメなんだよ。

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