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zoom RSS 瞑想および人生について──本当に『受容』するということは?

<<   作成日時 : 2016/03/05 15:37   >>

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 以前紹介したプラユキ・ナラテポーさんの本、『苦しまなくて、いいんだよ』を、改めて読み返しています。

 すると、前読んだときには特に気にしてなかった箇所が、今回ズガーンと心に直撃しました。
 具体的にはp108から紹介されている、言葉の使い方に関するエピソードです。

 以下、僕なりに要約します。

☆★☆★☆

Q. 周りがある人の愚痴ばっかり言ってた。その空気が嫌だったので異論を挟んだら、きれい事を言うな、みたいに場の空気がかえって悪くなってしまった。でも自分はやはり、愚痴ばっか言うのは間違ってると思う。どうすればいいんだろう?

A. 空気を変えたい、という気持ちは真っ当なもの。ただ、そう思って発した意見が結果的に場の空気をかえって悪くした以上、その方法は間違っていたことになる。
 こういうときは、ただ正論を述べたり、自分の気持ちを吐き出すのではなく、仏教的な「ダンマ(法)」に従った対応をするのがいい。

 まず具体的には、目の前にいる人にきちんと意識を向けること。自分の発言にはその動機となる心理があるように、相手の発言もやはり理由があってされている。そこに思いを至らせるのが大事。
 たとえば愚痴や悪口には、その奥に隠された2つの気持ちがあるもの。1つは愚痴の対象者に対して、「もっとこういうふうに変わってほしい」と願う気持ち。もう1つは愚痴をぶつけてる目の前の相手に、「自分の気持ちをわかってほしい」と願う気持ち。
 そういう気持ちがあるんだということを、まずはありのままに受け止める=「受容」すること。

Q. でも、自分は「愚痴なんか言うもんじゃない」と思ってるのに、相手の愚痴を肯定するのって、自分に嘘ついてることになるのでは?

A. ここでいう「受容」とは、相手の意見を肯定するとか否定するとかいうことではない。相手がどういう気持ちで言っているのか、それを考えて理解し、わかったよと伝えること。愚痴そのものに賛成か反対かを伝えることではない。
 ちなみにこの態度は、「気づきの瞑想」における自分自身の心への対応と同じ。瞑想中になんらかの感情が浮かんできたら、それにはまり込むことなく(=賛成せず)、かといって逃げたり攻撃したり目を背けたりもせず(=反対せず)、ただ気づいて受け入れる。それと全く同じ。

 自分の意見と相手の意見、そしてそれらの奥にある両者の気持ち、その全てに気づき、理解する。これが「受容」。
 そして人間は、自分の気持ちを理解してもらえたと感じると、相手に対して心を開き、意見を受け入れやすくなる。まずはそういう状況に持っていった上で、事態をよりよくする方法を一緒に考え、実行するように働きかけるのがいい。
 単に「受容」だけで終わるのではなく、そこから上をめざす、いわゆる「精進」もセットにするのが大事、ということ。

☆★☆★☆

 ……要約というにはやたら長くなった上に、なんか硬い言い方になった気もしますけど、大体こんな感じです。
 実際の本の中では、もっとやわらかい表現でわかりやすく書かれているので、ぜひそっちを読んでみてください。


 前にも書いたように、僕は自分の病気の治療のために、マインドフルネス系の瞑想を試し、それに関する本も何冊か読んできました。
 でも、一番肝心とされている「受容=ありのままに、判断を加えずに受け入れる」というのが、いまいち理解できず、実践もできていませんでした。

 だって、例えば症状の一つである舌の痛みとか、すげー痛いし苦しいですもん。死んで楽になりたい、とすらしょっちゅう思うほどに、ね。
 それをよいとか悪いとか言わずにただ受け入れる? 無理!

 てなふうに思ってたわけですが、今回『苦しまなくて、いいんだよ』を改めて読んだことで、その辺りのことが少しわかった気がしてきました。
 痛い、苦しいと感じている、それは事実。自分がそう思っていることを認めて理解する、それが受容。痛い、苦しいと感じている気持ちそのものを、「判断を加えちゃってるからダメ」みたいに否定するのは、受容ではない。

 病気に対する不安や怒り、将来に対する思い、不意にわく絶望感、その他様々な感情は、全て理由があって生まれているもの。
 自分がそういう感情を抱いていることに気づき、なぜそういう気持ちが生じているのかを考える。「理由はわからないけど不安で仕方ない」ということもあるけど、それはそれで、理由はわからないという事実を理解し認める。

 つまり、なんでもかんでもただ認める、受け入れる、観察するだけじゃなくて、その奥にある気持ちや理由まで考える=「洞察」するっていうのが、少なくとも僕の場合は大事なんじゃないのかなと思ったわけです。
 その洞察がないと、一見なんでも受け入れてる、観察できてるって気になってても、実際はごく表面的なレベルで終わっちゃってるんじゃないかな、と。洞察っていうのは意識的な行程であり、なんかマインドフルネスではそういう意識的な行程はダメ! みたいになんとなく思ってたんですが、そうじゃないのでは? と今は考えています。

☆★☆★☆

『苦しまなくて、いいんだよ』と、プラユキさんの新刊である『自由に生きる』の2冊は、僕が読んできた瞑想関係の本の中でも、特にオススメです。

 オススメする理由の一つは、他の瞑想本を読むと誤解したまま進めてしまいそうな事柄に、きっちり注意がされてることです。
 たとえば『自由に生きる』の中では、思考や感情から距離を置くという、マインドフルネスでよく言われている対応が、結果としてそれらからの逃避になってしまい、かえって精神状態や人間関係を悪くすることもある、と語られていました。

 マインドフルネスは創造力を損ねる、みたいな記事も読んだことありますけど、これについてはやはり上述のように、そもそもやり方を間違えてるんじゃないか? という疑問があります。
 もし仮に、不意にわいてくるアイデアやインスピレーションを、「こういうのは全部雑念、出ちゃダメな悪いもの」みたいに見なしていたとしたら、そりゃ創造力は落ちるでしょう。
 でもこういう態度は、そもそもマインドフルネスとしても間違ってるわけです。だって全然受け入れられてないんですから。

 とはいえ、瞑想っていうのは基本的に主観による作業なので、特に本読んで一人でやってるだけだと、自分のやってることが合ってるか間違ってるかっていうのは、なかなか理解しにくいと思います。
 どころか、やはり『自由に生きる』の中で触れられていた問題として、瞑想指導者の中にさえも、間違ったやり方を是とする人がいるという話です。この場合、同意者が得られたことで、自分は正しい! という間違った確信をますます強めてしまうわけですから、余計やばいですね。


 僕自身、今も絶賛病気中ですし、自分のやってる瞑想が正しいのかどうかの確信なんかありません。
 ただ、プラユキさんの2冊の本からは、人生を正しい方向へと進め、間違ってるときはそうと気づきやすくなるようなヒントをたくさん感じています。なので今の僕としては、他の瞑想本よりもなによりも、まずこの2冊をオススメしたいというところです。



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