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zoom RSS エヴァ破、というかエヴァンゲリオンの感想 続き(いまさらながらネタバレあり)

<<   作成日時 : 2010/12/04 12:01   >>

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「俺にはエヴァの面白さを理解する才能がない(キリッ」とか言ってる時点で終わっちゃってもいいんですが、無能は無能なりに語りたいことがまた出てきたので、語ります。

 とりあえず、自分がなんでエヴァにさほどのめり込めないかについては、新たな答えをひらめきました。
 説明しすぎ、だからです。

 エヴァという作品は、ともかく登場人物が自分の心情を説明しまくってくれます。自分に限らず、他人の心も。

 昨日エヴァ破を見た感想の1つとして、アスカの解説役っぷりがすげえな、というのがありました。私は1人で生きていく、1人じゃ使徒には勝てなかった、といった独白。綾波の「ぽかぽか」発言に対し、それって好きってことじゃない、などと「そこまで解説しなくてもよくね?」と思わず突っ込んだほどのわかりやすい説明。
 あげくは退場直前になっていきなりミサトに電話をかけ、変化した自分の心について赤裸々に語るという、死亡フラグの王道を行くような演出までかましてくれました。お前、劇場版ではミサトとの仲もほとんど不明のままなのに、なにいきなり心開いてんの? と、やはり思わず突っ込まされたものです。

 この説明の過剰さは今回の劇場版に限ったことではなく、テレビアニメ版からそうでした。なにせ最後の2話なんかは、説明だけで1時間近く費やした末に「おめでとう」とか言って締めてますし。
 昨日、僕はエヴァを見てても登場人物の心の機微が感じられないと書きましたが、これは不正確でした。むしろ心の機微について作中であらかた説明されちゃってるんで感情移入できない、というのが正確でした。

 僕の趣味として、「心情を説明されると萎える」というのがあります。
 逆に心情の説明がなく、行動やセリフの断片から察しろ! というスタイルの作品に対しては、「俺にはわかるぜえ! お前の心がよお!」と勝手に入れ込んで盛り上がることができます。

 ちなみに、この「察しろ!」型アニメの典型例の1つに、絶対少年という作品があります。
 僕は近年のアニメの中でこれが1番好きなんですが、世間的には多分全く知られてないでしょう。ま、そんなものです。

 エヴァはアニメより小説向きなんじゃねーの? という昨日の感想も、この点の誤解から生まれました。
 要は小説なら、登場人物の心情をセリフという形ではなく、地の文で自然に書けるからありだ、というだけの話です。実際にはアニメであっても「察しろ」型の演出は普通に可能なんで、アニメであるか小説であるかというのは、問題の本質ではありませんでした。エヴァは今も昔も説明型のアニメであり、僕にはそれが性に合わないという、それだけの話です。

 ついでに言うと、エヴァ破の劇中歌3つ(三百六十五歩のマーチふくむ)も同じような意味で、説明的な演出だったように感じます。
 正直、今回の歌のセレクトには普通に萎えましたが、わかりやすい説明を貫いたという点では、ぶれてないと言うべきなのかもしれません。仮に今回の歌の代わりに適当なクラシックとかを流したとしても、それはそれでありがちだしなあ。

☆★☆★☆

 などということを考えた結果、さらに別のことも思いつきました。
 エヴァ2が叩かれてた原因って、これがでかいんじゃねーの?

 エヴァの原作は難解だ難解だとよく言われていたように思いますが、上述のように、登場人物の心理描写に関してはむしろかなりわかりやすい作品でした。少なくとも説明はたっぷりありました。
 これに対してエヴァ2は、人の心がともかくわかりにくい。他キャラの心がわからないだけでなく、操作している自キャラの心さえわからなくなることが多い。というより、自キャラにも心が存在していることにすら気づかないプレイヤーも多いでしょう。

 僕はエヴァンゲリオンという作品に対し、基本的には「普通に面白い」という感想しか持っていません。
 例外がこのエヴァ2で、360時間ほど遊ぶぐらい入れ込んでおり、近年出たゲームの中でも間違いなくトップクラスの作品だと考えています。世評はさておき。

 この違いはひょっとすると、「察しろ」レベルの違いなんじゃないか、とふいに思いました。
 原作のエヴァは僕にとっては説明過剰であり、察する余地があまりないからハマれない。一方、エヴァ2はひたすら察しまくらないと楽しめないゲームであり、それが僕の性に合った。ただ、エヴァ2を買った人間の多くにとっては逆であり、だからこそあれだけ叩かれたんじゃないか、と。

 だとすると、エヴァ2は原作をゲームという形で完全再現したとうたっていたものの、実はかなり根本的な所で異なる作品だったんだろうか。その辺り、開発者の芝村さんは自覚的にやったのか、あるいは全く気づいていなかったのか。
 などということをいまさら思い、あまりにもいまさらなので、いまさらだなあと言う他ありません。ああ、いまさらだ。

☆★☆★☆

 別の話。
 自分が3年前に書いたエヴァ序の感想を読み直してみると、今後の展開予想が部分的に当たっており、「俺すげー!」と勝手に興奮しました。

 具体的には、

「新劇場版はシンジの成長物語なんだから、ヒロインもシンジと一緒に成長しないと目立てないよね? てことはアスカは影が薄くなるか、逆にシンジと一緒に成長するかも?(しないと思うけど)」

「今作の使徒って、シンジの成長ぶりを表現するための壁役だな。てことはゼルエル戦なんかは、暴走という他力本願な勝ち方じゃなく、シンジ自身の力で勝つ形に変わるんじゃね?」

 結構当たってたぜ。いえーい。まあ、さほど独創的なことを書いてたわけじゃなし、まして全部じゃなく部分的にしか当たってない時点で(ry

 それはいいとして、この考え方の延長で行くと、真希波という新ヒロインは今後どういう扱いになるんだろう、という疑問が浮かびました。
 新劇場版では、レイにしてもアスカにしてもそうですが、シンジとともに精神的に成長することによってヒロインとしての仕事をこなしています。ところが真希波に関しては、今のところ精神的な弱さやトラウマ的なものが特に見当たりませんし、そもそもシンジとの心の交流自体がほとんどありません。

 つまり真希波は根本的に、新劇場版の物語の本筋に絡んでいないわけです。心の弱さが本当にないのであれば、今後も特に絡むことはないでしょう。
 ……あれ? じゃあヒロインとしてやることはなにもなくね? 今後もシンジたちとはあまり関係ないところで勝手に暴れて終わるんだろうか。それとも次回作で「実はこんなトラウマを持ってます」的なことが明かされるんだろうか。そんな旧エヴァ的なことはいまさらやらないとしたら――どうにもならなくね?

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