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zoom RSS なつかしのゲーム語り 第21回 トルネコの大冒険

<<   作成日時 : 2009/06/19 16:57   >>

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 このゲームを強く意識したきっかけは、当時ファミ通で連載していた漫画『しあわせのかたち』だったと思います。
 ……本棚を見たら、すぐ取れる場所に単行本があったので、調べてみました。最終回間近の、第224話ですね。ここでの「トルネコ」の取り上げられ方が、ちょっとただ事じゃない感じだったため、興味を持ったのです。

 このゲームの元ネタはローグというゲームなのですが、当時から今に至るまで、僕はやったことがありません。
 ただ、派生版を遊ぼうとしたことはあったものの、そのときは序盤で早くも面倒くさくなってしまい、すぐに投げ出しました。このとき、やっぱりトルネコやシレンはうまいことアレンジしてたんだなと、改めて思ったものです。

 初代トルネコは、発売当時はかなり苦労して遊びました。「もっと不思議」も、そのときは結局クリアできませんでした。
 ところが、それからシレンやトルネコの続編をいろいろ遊び、10年ぶりぐらいに初代トルネコに再挑戦してみると、「もっと不思議」をあっさりクリアできてしまいました。俺の腕はこんなに上がってたのか、てか最近のシリーズに比べるとずいぶん簡単だったんだなと、時代の流れを感じました。

☆★☆★☆

 で、最近思ったこと。
 不思議のダンジョンシリーズの売りは、「死ぬとレベルが1に戻る」「成長するのはキャラではなくプレイヤー」というところにあります。前者は最近のシリーズではやや変わっている面もありますけど、キャラのレベルよりプレイヤー自身の知識や経験が大切だというのは、今も昔も変わりません。

 これが、それまで出ていた普通のRPGとは大きく違う点だと言われ、評価されたとともに、遊び手を選ぶと評された原因でもあったわけです。
 ただ、考えてみれば、この要素自体は別に特別なものでもなんでもありません。

 というのも、アクションゲームやシューティングゲームというやつは、基本的に全部これだからです。キャラがゲームを通して無茶苦茶強くなるということはあんまりなくて、基本的にはプレイヤー自身が成長してナンボです。
 シューティングはジャンルそのものが衰退していったものの、アクションゲームは、マリオシリーズを始め、今に至るまでコンスタントに名作が出続けています。レベル制が導入されたゲームも多いですが、基本的にプレイヤーの腕がものをいうジャンルであることは同じです。

 そう考えれば、むしろファミコン初期からのゲーマーにとっては、「死ぬとレベルが1に戻る」「成長するのはキャラではなくプレイヤー」なんてのは、ごく当たり前のことだったわけです。
 にも関わらず、少なくとも僕は、これが当たり前のことだと認識していませんでした。ごく最近まで、これらの要素は不思議のダンジョンシリーズ特有のもんだよな、などと無邪気に考えていました。

 なぜこんな錯覚が生まれたのか。
 最大の原因は、不思議のダンジョンシリーズが「RPG」の皮をかぶっていたからでしょう。特にトルネコは、元々がRPGの代表作たるドラクエシリーズのスピンオフという体裁を取っていたため、なおさら「変わり種のRPG」という印象が強かったわけです。よってこっちも、RPGとしての常識だけで考えてしまい、その他のことに考えが至らなかった、と。

 見た目が違えば、中身の真実についてはあっさりごまかされてしまう。ちょっと違う話ですが、こんな記事もあります。何度か書いてる、「名作の続編に対する評価は厳しい」という理論も、ここらへんに関係していると思います。
 人間の考えというのは、非合理的なものです。物の真贋や本質をきちんと見極められるとは限らず、むしろ盛大に誤解してしまうことも少なくない。だからどうだというわけではないですが、まあその程度のもんだと認識しておくのは、損ではないでしょう。

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